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江戸時代の兵庫津




▲江戸時代の兵庫津 【所蔵】:神戸市立博物館

東回り航路:日本海沿岸から宗谷海峡を通って太平洋側に出て江戸に達する航路
西回り航路:日本海を南下して下関から瀬戸内海に入り、大阪に達する航路
北 前 船:大阪・兵庫を出港地として、 瀬戸内海や日本海各地の港に寄港し商売をしながら北海道に達し、
帰りには、北海道の昆布やニシンを仕入れて再び兵庫・大阪に帰ってくる船

★上方から江戸までしお・酒・しょうゆ・などが運ばれていました。




【所蔵】:北方歴史資料館
弁才船は17世紀前半におもに瀬戸内海で活躍していた船の型です。
当時は300石積前後の中型船でしたが、 流通経済の発展とともに、1,000石積、1,500石積と大型化され、 全国的に普及していきました。
むかしの日本(江戸時代)では、お米の量を石(こく)」であらわしました。
1,000石積める船を千石船と呼んでいました。


1,600石積弁才船(樽廻船) 【所蔵】:神戸市立博物館