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尼崎西宮芦屋港

港とわたし
元神戸海洋気象台予報課長 和田徳弘(神戸市垂水区在住)

 
  わたしは山陰の一漁港、鳥取県赤碕町で生まれ、十八年間の少年時代を過ごした。そのまちは、日本海に面し、冬は荒々しい気候で陰曇な空の下、大波が打ち寄せていた。

まちにある二つの漁港はかなりの漁獲高を誇っていたが、冬の北西季節風が強まると港は、漁に出られない船でいっぱいであった。特に、北西の季節風が吹くと、漁船は港に係留され、何日も漁に出られないことがしばしば起こっていた。

このような環境で育ったせいもあってか幼い頃から、日本海の荒波から漁船を守るために、港の重要さを認識し、旧制中学五年生から、旧専門学校令の中央気象台付属の気象専門学校に入学した。卒業すると自動的に気象台に就職。戦後まもなく、わたしは、米子測候所に入り十年間勤務し、予報官となって松江、豊岡、舞鶴を担当することになった。こうした気象官署はすべて日本海側にあり、海上気象の予報がいかに重要な任務かをいつも肝に銘じていた。

わたしの仕事は、どちらかといえば大雨や大雪の予報より、港との関係が深く、従って風速や波高の予報が主だった。日本海の漁業者は荒波との戦いのようなもので、「風」と「波」の予報は、特に強く要求された。

神戸海洋気象台には2回勤務した。ここでは通常の天気予報と海上予報の発表を交替勤務で担当した。神戸港の関係では、特に台風時の風速や波高の予想、高潮の予報が重視された。また、遠洋漁業に出港している個々の漁船に対して、台風の避難方法などの指示も行っていた。

予報官から予報課長になってからは、神戸港とのかかわりが一層強くなっていった。台風の襲来となると台風の説明会や大型外国船への避難指示などの解説が必要で、台風説明会では、神戸港に停泊している大型船に対し、どのような影響があるかを説明するために、台風の予想進路や影響などの判断を、早朝から求められた。

いよいよ台風の接近となると、二日以上前から神戸港に関係のある官省、船会社などの関係者を招集し、資料を示して台風がいかなる影響をあたえるかを説明した。台風の進路によって、神戸港への影響が大きく変わるので、神戸港の東側を通るか、西側を通るかの判断を、特に求められたものだ。

始めは漁港との関係が、後には神戸港での大型船の関係になった、「港とわたし」との懐かしくも深いふかい間柄なのです。

 
和田 徳弘 プロフィール
和田 徳弘(わだ とくひろ)
大正14年7月26日生
昭和20年9月   気象技術官養成所本科
(現:気象大学)卒業
  米子側候所勤務
昭和30年10月   松江地方気象台 予報官
昭和35年 8月   兵庫県豊岡側候所 予報官
昭和42年 4月   京都府舞鶴海洋気象台 予報官
昭和48年 4月   神戸市海洋気象台 予報官
昭和52年 4月   大阪管区気象台調査課 調査官
昭和53年 4月   和歌山地方気象台 技術課長
昭和57年 4月   広島地方気象台 観測課長
昭和58年 4月   神戸海洋気象台 予報課長
昭和58年 9月
〜60年 3月
  神戸大学講師(気象学)
昭和60年 4月   和歌山地方気象台 台長
昭和61年 3月   気象庁定年退職
○主な調査研究
「日本海の強風と高波について」 気象庁技術報告
「集中豪雨の解析と予想」 同上
「ブイロボット データと台風」 海と空
「和歌山県の気象100年誌」
「広島の気象100年誌」
 
 

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