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尼崎西宮芦屋港

震災を体験して気づいたみなとの豊かさ
シーナ・ダスワニ(メディアスペシャリスト)

 
メリケンパーク
  私はインド国籍を持つ神戸っ子。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、昔も今も神戸在住のほとんどのインド人は北野など、山の手に住んでいます。私の家族もそうでした。考えてみると、私たちにとって神戸港というのはちょっと遠い存在だったような気がします。マンションの窓から見える景色の一部──時々外国の帆船が入ってくると、家族や仲間と出かけたりしたけれど──どちらかと言うと神戸の山:六甲山牧場、麻耶ケーブル、そして再山にある森林植物園、等に出かけた思い出のほうが多いのです。

しかし、ある日、私と「みなと」が急接近したのです!1990年の10月、海が見えるラジオ局、Kiss FM Kobeの朝の番組 “Good Morning Kobe”に抜擢されたからです。毎日ポートタワーやメリケンパーク、そして目の前にあるみなとを眺めながらお仕事をするようになり、みなとの存在を初めて肌で感じるようになったのです。

でもその後、私の人生の中で「みなと」と言う存在がまた一段と膨れ上がる時がきたのです。そのきっかけとなったのは、あの阪神淡路大震災でした。
その頃、私は初めて親元を離れ、六甲アイランドに住み、毎朝タクシーでKiss FM Kobeまで通勤していました。でもその状況は地震で一変しました。道路も線路もダメージが大きかった六甲アイランド。島に誰も入ってこられないし、誰も出て行けない。もちろん仕事にも行けない…とてつもなく不安な気持ちでした。そんな状況の中、意外にも六甲アイランダーの私たちの力となったのはみなと。そして足となったのは船でした。

神戸Sea Bus!普段は六甲アイランド、ポートアイランド、そしてメリケンパークを結ぶ遊覧船。そのSea Busが私たちの毎朝の通勤バスとなったのです。神戸に「みなと」がなかったら、私たちはどうなっていたでしょうか?
みなとの大切さ、みなとがもたらす豊かさ、みなと神戸の素晴らしさをその時初めて痛感しました。

また、みなとの地震によるダメージを見て、「神戸はやはりみなとで成り立っている街なのだ」と実感し、みなと神戸の意味を初めて理解したような気がしました。

1995年の1月下旬から3月まで…それはそれは不安な毎日でしたが、朝の通勤が私のリラックスタイムになっていったのです。皆さん、船で仕事や学校に通ったこと、ありますか?タクシーやマイカーはもちろんですが電車、バスでの通勤・通学って孤独な時間ですよね。運転手さんに挨拶することもなく、混雑しているし、なるべく周りの人との接触を避けるのが普通ですよね。でも神戸 Sea Busは全く新しい経験でした。素敵な時間でした。最初は船を操縦する人たちと挨拶を交わす程度でしたが、だんだんと仲良くなり、コーヒーを入れてもらったり、ゆで玉子の差し入れを持って行ったり…挙句の果ては番組中にスタジオの窓の近くまで船を近づけて、手を振るんですよ!もう笑ってしまいました!

あの頃のSea Busの皆さんはどうなさっているでしょうか?元気がなかった私たちを毎日励ましてくれた人たち。みなとの本当の素晴らしさを教えてくれた人たち。心からありがとう。
今も皆さんのことを時々思い出します…シーナ
 
シーナ・ダスワニ プロフィール
シーナ・ダスワニ
1967年、神戸生まれ。インド国籍。神戸海星女子学院国際部卒業後、アメリカワシントン州トリニティー大学へ留学、ジャーナリズム専攻。英語、日本語、シンディー語(インド語源)を母国語とするバイリンガルトークと、グローバルな視点をいかして、テレビ・ラジオ等に出演。現在は音楽活動や翻訳、講演活動でも活躍中。
 
 
 

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