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尼崎西宮芦屋港

お隣は、アメリカ人
丸山千恵子(フードコーディネート "Holly"主宰)

 
メリケンパーク
  神戸港に停泊していた(U・S LINES)貨客船のタラップを踏んだのはいつ頃だったか。「ハイ チエコ!」隣に住んでいるアメリカ人の奥さんが私を抱き締める。

彼女がアメリカで休暇を過ごすために帰るパーティーの日。船室に入ると広いリヴィング。出港までの間を友人とワインを飲みながら過ごし、ゆっくりとアメリカへ。落ち着いた色彩の調度品の向こうには図書室が見え、豪華ホテルのスイートルームのような感じだった。

私の育った家の隣人のご主人はユーエスラインズのマネージャー。戦後すぐ横浜、その後、神戸へ転勤。私達に暖かな思い出を残してくれた彼らとはまさに、港のおかげで出会えた。男の子が2人。下の坊やは私の弟と兄弟のように育ちCAMP FAIR印のマシュマロをガス火で焼いて食べたり、お好み焼き風クッキー、弟の名前を付けた(ひろたん焼き)の創作やCAMPBELL印の空き缶と格闘したりと日々遊びに忙しくしていた。

彼は毎日、家に来るのに庭続き側の多分2m程の石垣を登り、庭から入って来て、なぜか帰りは玄関から出て行った。とにかくわんぱく盛り。アメリカからいろんな物を持ち込み私達を驚かせた。ハロウィーンには、フランケンシュタインの仮面を被って庭にすくっと立ち、私に悲鳴をあげさせたり、可愛い手作りのヴァレンタインカードをくれたり。

隣人は時にガーデンパーティーを開いていた。外国映画で見るような提灯をぶら下げ、大人達が集まって来るのを家の庭からのぞいたものだった。テイクアウトピッツァやコーラが並ぶ。ピッツァもコーラも馴染みの少なかった時代の話である。

彼の家でお昼をいただいた弟は「お姉さん、ランチョンマットを敷いてナイフとフォークが並んでナプキンが出てくる。」そんな豪華なセッティングに出されるのはピーナッツバターとジャムのサンドイッチ。アメリカ人の学校用ランチの定番だ。チョット笑ってしまう話。しかし、子供のお昼といえど手を抜かないテーブルあしらいに何かを学んだような気がする。

そんな彼の母親は大の飛行機嫌い。ということで、先ほどの貨客船でということになる。

帰りの彼女の船室は、そんな日用品であふれていたかも知れない。まだまだ日本では手に入りにくい品が多かった。そんな時代を日本で30年余り暮らした彼女にとって、神戸港とニューヨークの港は彼女の人生の動脈だったような気がするが、ご主人のリタイアでアメリカに戻りニューヨーク・ロングアイランドで余生を送り亡くなった今となっては、2人の子供の父親になりコネティカットに住む、あのわんぱく坊やのラリーに聞くしかない・・・。
 
丸山千恵子 プロフィール
丸山千恵子(まるやま ちえこ)
昭和49年(1974年)〜昭和50年(1975年)、アメリカ、ヴァーモンド州インターナショナルスクール(S・I・T)及びセントマイケルズカレッジに留学。
帰国後、神戸新聞コミュニティー情報センターでコミュニティー誌の編集長を務めた後、仕事から離れ海外で暮らす。2年後帰国。
神戸の注文住宅会社の広報企画室長を務めた後独立し、企画・編集・制作事務所「Holly」を設立。
食を中心とした生活文化を通して日常生活の広がりを提案している。
 
 
 

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