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尼崎西宮芦屋港

もう一度、港から
松下衛(神戸メリケンパークオリエンタルホテル特別顧問)

 
メリケンパーク
メリケンパーク
  泳ぎがあまり得意でない私が、何故か海が大好きで、将来は外国航路の船長になるんだと夢を持ちながら、中学生になるとすぐに誘われて、神戸海洋少年団に入団しました。神戸は何と言っても港が中心で開けていった街ですから、特に当時はどこを歩いても港が見え、船の汽笛が聞こえる街でした。海洋少年団に入って、立て替えられましたが、めりけん波止場と京橋の間に海上保安庁の古い建物があり、そこの一番上の時計塔に事務所があり、よく訪ねて行きました。今は埋め立てられて面影もありませんが、京橋は丁度入江にかけられており、そこでは海洋少年団のカッター訓練やカッター競技に、時々使われました。それ以外は釣り人がのんびりと釣りをしている風景が日常でした。港の空き地で習った手旗信号は、今でも記憶にあり、変わらず海での遊びが大好きな私にとって、何かの時には役に立つかもしれないと、頭の中で時々反復訓練を密かにしています。不思議な縁で海の好きな私の仕事場が、中学生当時走り回った中突堤・めりけん波止場(今はメリケンパーク)が一望に望める港内にあり、毎日港の光景を、そして時間ごとに変わりゆく光景を見ています。毎日の通勤路も港です。水もきれいになり、小さな魚が泳いでいるのが見え、又冬にはかもめ以外に数種類の水鳥が仲良く浮かんでいます。しかし決定的に違うのは、身近に思えた船がいないという事です。大中小の船が所狭しと係留され、雑然とした中にも活気に溢れた港は、生き生きとしていました。

阪神淡路大震災以後関係者のご努力で、港は見事に復旧されましたが、依然として船の姿が見えません。コンクリートと水面のみが静かな姿で、横たわっています。大中小の鉄船に加えて、外国の港によく見られるような、様々な形のヨットが係留される日が何時くるのでしょうか。港の一角が一つのバザールとなり、点が線になり、やがて面となって広がり、神戸発祥当時の賑わいが、居留地とめりけん波止場から始まった時と同じように、もう一度港から、ウォーターフロントから賑わいをスタートさせたいものだとの思いを強く持っています。
 
松下衛 プロフィール
松下衛(まつした まもる)
横浜市生まれ。
大学卒業後、オリエンタルホテルに入社。
1970年、カナダBCITホテル学科留学。
帰国後復職し、客室課長、外販部長、取締役総支配人、
常務取締役を経て、中突堤ホテル建設プロジェクトに移籍。
2000年、専務取締役副総支配人に就任。
2002年より現職。
 
 
 

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