りんこう『臨港』の名で親しまれた
 まっすぐに伸びた線路。線路を挟み込むように軒を連ねる民家。その間をすり抜ける様に、ゴトゴトとのんびりした音をたてながら列車がやってきました。私が今いるのは、『西御坊』という駅のホームです。今回のみなと歴史散策では、今年で創業76周年、和歌山県御坊市を走る『紀州鉄道』にやってきました。
 紀州鉄道はJR御坊駅と終点・西御坊駅の間を結ぶ2・7キロのミニ鉄道です。駅の数は全部でたったの5つですが、この短い区間の線路は、地元の方々の様々な想いと熱意が込められているそうです。

【今でも現役 キハ603】
昭和35年に製造され、旧国鉄が使用した後、大分交通耶馬渓線で活躍。
現在は大分交通の色をそのまま受け継いだ緑とクリームのツートンカラーで今日も御坊のまちを走っています。
【終点・西御坊駅で列車を待つ】
開業当時は『松原口』という駅名でした。昭和10年にはこの駅を起点に散策コースが設定され、煙樹ヶ浜や日ノ御碕へと巡るコースに多くの観光客が訪れたそうです。今でも「熊野古道ハイキングコース」としてJRが企画しています。

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まちの有志がお金を出し合い開業した紀州鉄道。当初は株主もまちの皆さんでした。
 明治から大正にかけて紀伊半島にも鉄道敷設の声が高まりました。そして大正15年に国鉄紀勢西線が御坊付近まで延伸することが決定されました。
 しかし、国鉄御坊駅は御坊町から遠く離れた湯川村に設置されることになり、この決定に、当時熱心に鉄道を誘致していた地元御坊町民の失望は大きく、「それなら自分たちの手で町に鉄道をひこう」と町の篤志家達が中心となり設立したのが、現在の紀州鉄道の前身『御坊臨港鉄道』です。
 その際、まちの方々の意地というか、鉄道にかける熱い想いと云うのでしょう。手続きに時間のかかる国の補助をあえて断り、資金はすべて自分たちの私財と、地元の人々から株主を募り調達したのです。そして、昭和3年の会社設立からわずか2年半後の昭和6年、御坊駅から御坊町駅(現在のJR御坊駅から紀伊御坊駅)の間を待望の鉄道が開通しました。
 その後、昭和9年に港にほど近い日高川駅まで延伸され、まちの人々の願いであった港とまちを結ぶ臨港線としてスタートしました。
 このように、地元の方々の強い思いで開業した現在の紀州鉄道は、1日28往復(※2004年5月現在)、年間乗降客約20万人を運ぶミニ鉄道として、市民や全国から訪れる観光客から親しまれています。

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レトロ列車「キハ」で味わう8分間の旅
 現在、紀州鉄道は2種類の車両が活躍しています。一つはレールバスと呼れる『キテツ−1』。名前のとおり線路の上を走る姿は、本当にバスそのものです。
 そして残るもう一両が『キハ603』です。昭和50年に大分の耶馬渓鉄道から譲り受けた車両で、紀州鉄道で走りはじめて、もう30年近くになります。
 全国的に多くのローカル鉄道が廃止されるなか、製造後30年以上も経つ車両が現役で走っているのは珍しく、全国から、このキハに乗るために多くのひとが訪れます。まさに市民から愛され全国にファンをもつ御坊のまちのシンボルと云えます。
 取材当日、このキハ603に乗車することができました。さすがに歴史のある車両であり椅子、床、窓枠には木製の部品が使われています。板張りの床、真っ赤なセミクロスシートがどこか懐かしく、不思議な安らぎさえ感じさせます。
 車両中央部の椅子に腰掛ければ、床板一枚下はディーゼルエンジンが収まっており、振動を直接体で感じることができます。機械というより、心が通う生き物の鼓動という感じでした。絶対お薦めの座席です。
 さらに、天井を見上げてみると、今では珍しい白熱灯が車内を照らしていました。
 JR御坊駅と西御坊駅の間約8分間の旅ですが、趣のある車両の中から、のんびりと流れていく御坊の町並みを眺めていると、わずかな時間とは言え、この車内空間の中だけは魔法がかかっているかの様に、ノスタルジックな雰囲気に浸ることができます。

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地域繁栄のまさに けん引役でした
 港に運ばれた貨物は、様々な方法で町の工場や市場に運ばれます。鉄道もその輸送方法の一つです。紀州鉄道も昭和の終わり頃まで、臨港鉄道として、その大きな役割を果たしていました。
 かつて沿線には紡績工場が建ち並び、引き込み線が工場までひかれていました。海外から陸揚げされた多くの原綿が神戸港へ陸揚げされ、国鉄そして臨港線を経由して紡績工場に運び込まれていたのです。
 当時、御坊の山々から切り出された多くの木材も貨車により日高川駅まで運ばれ、貨物船に積み替えられ全国各地へと運ばれていました。
 反対に港に運び込まれた貨物もレールを通じて各地へ流れていきました。中でも紙の原料であるチップなどは船で御坊に陸揚げされ、貨車に積み替え県内各地や遠く中部地方まで運ばれました。
 しかし、御坊臨港鉄道の歴史も幕を閉じる時が来ました。昭和59年、当時の国鉄は貨物合理化のため紀勢西線の貨物運行を廃止したのです。そのあおりを受けるかたちで御坊臨港線も、やむなく貨物営業を廃止せざるを得ませんでした。

↑【学門駅お守りつき入場券】
「学校の門に入場とは縁起がよい」とのことで全国の受験生に人気があります。
(問い合わせ先:紀伊御坊駅 0738-23-0001)
↑【日の出紡績工場(昭和10年)】
日の出紡織前駅が設けられ、工場に通う多くの乗降客で賑わっていました。
写真に見えるレンガ造りの大煙突は昭和中頃に取り壊されるまで御坊名物のひとつでした。

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地域経済を引っ張る 新たな港が誕生
 終着駅の西御坊から海辺にむかって歩いていくと、松林を抜け広大な浜辺にたどりつきました。ここは県立自然公園にも指定されている煙樹ヶ浜とよばれている浜辺です。「白砂青松」という言葉はこの浜辺を見て誰かが思いついたのではと思うくらい白い砂浜と青々とした松林が広がっています。この日は晴天で海からの風も心地よく感じました。砂浜に腰を落とし、潮の香で海からの風も心地よく感じました。砂浜に腰を落とし、潮の香りを満喫しながらしばらくの間海をながめていると、本当にのんびりとした気持ちになれます。この松林は雄大な浜辺の景観を保つと同時に、海からの潮風や強風などから背後の市街地を守る役割も果たしています。
 浜辺から海をながめていると、日高川をはさんで対岸の沖合に真新しい港が見えました。4月24日に供用が開始された日高港です。すこし近くまでいってみることにしました。
 かつて臨港線が貨物を運んでいた旧い日高港は河口に位置していたため大型船が入港できないという欠点がありましたが、今回、大水深の岸壁が整備され海外からの大型船も利用できます。なんだかミニ鉄道が世界までつながったようで、夢のある愉快な気分になります。
 地域で生まれ、地域をけん引してきた紀州鉄道・臨港線。今は港と線路はつながっていませんが、その熱意と希望はこの新しい日高港に受け継がれていくことでしょう。

↑【白砂青松の砂浜がつづく煙樹ヶ浜】 ↑【4月24日に供用開始した日高港】



みなと立版古とは
「みなと立版古(みなとたてばんこ)」は、港湾をひろく地域の方々に知ってもらうためのペーパークラフトです。今まで「神戸」「尼崎」「大阪」「堺泉北」とつくられ、このたび待望の「和歌山日高編」ができました。

『みなと立版古』がダウンロードできる
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みなと立版古「和歌山日高編」


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